飾らない場所

何者でもなくただ生きてるだけの、ここに居るだけの僕・私・俺

なぜ他人を否定してしまうのか

最近ちょっと思う。

 

○○な男とは結婚してはいけない!

同性愛者は子孫残さないから価値がない!

無職は生きてる価値無い!

Fランなんかでる価値ない!

…などなど。

 

これを第三者が何故言えるのだろうか。

 

"自分がこうして失敗した。だから自分には価値がなかった"って情報発信ならまだ理解できる。

が、"○○な人の価値がない"ってのはなぜ第三者が決めつけるのだろうか。

 

やはり人の価値って人ありきの話だからなのかな。

 

価値がないと決めつけるのは

あくまでも自分の益にはなってないってだけの話なのかな。

 

だとすれば

この世の全ての人には価値など無いのかな。

 

それとも

誰かに益があれば価値があるのかな。

だとしたら、この世の全ての人には価値があるよね。

 

頭ぐるぐるしてきた。

 

世界に一番繋がるのは

音楽・演奏の動画を見てると

世界中と一番繋がるのはやはり音楽なんじゃないかと思ったりする。

 

どんな楽器も奏でるのは旋律で音。

 

言葉じゃなくてただ純粋に良いなと思う旋律

そんな曲を国関係なく各国の奏者が演奏してるのを見たりすると

 

どの国にいても

響く人には響くのだろうなと感じる。

 

 

それに次いで歌がある気がする。

 

多様性の良し悪し?

"多様性"と言われるようになって

同性愛者を筆頭にマイノリティの人達が"いる"って事はもう知れ渡ったと感じる。

(ただ、まだ"身近にいる"感覚は掴めてないきはしてるけどね。)

 

個人的には多様性って別に何かしらの特権を!って意味ではないと思ってるので、とりあえずは"身近にいる"って事を認識してもらって

 

そのうえで

(例えどんな人にたいしてでも)

"極力"傷付けない言葉選び・行動が皆で出来る世界だといいなと思ってる。

 

 

という前置きを書きつつ

今回書きたかったのはそれではなくて

 

知れ渡ったからこそ

出来なくなった・やりずらくなった事ってのはやっぱりあると思ってる。

 

今までならまぁ、存在を知らない人(身近に感じない人)・見えてるけど見えてないみたいな感じが大半だったからこそ

それぞれのコミュニティで暗黙のルールや

目印やら使ってイケナイ事してたり、

見えないところでひっそり手を繋いだり、化粧してみたり、毛を処理した事すらも隠さなきゃいけないような昔とは違って

 

今はノンケでもやってるような事になって

それらをするハードルが幾分も下がったし、堂々とやれるようになった反面、それらではわかりやすく見分けることが出来なくなったのもまた事実。

 

個人的にはそれが多様性だと思ってたりもする。

何か特出した色が出るわけではなく

ただただ混ざって曖昧になっていくようなそんな感覚。

 

ゲイだと思ったらノンケだった!

いいなと思ったらノンケだった!悔しい!

みたいな感情があるとするならば

それが正常だと思うのです。

 

裏を返せば

世の女性がノンケだと思ってた男がゲイだった!ツラ!

ってのと同じ事だと思うから。

そうやって苦労すればいいと思うのですよマイノリティ側だって(笑)

 

振り返るのはいつも10代

懐かしい曲などを聴くと

思い出すのはいつも10代あたり。

 

決して楽しいだけの時でも無かったし

もう一度、同じあの時を繰り返すのは嫌なはずなのに

 

それでも

辛いだけの時でも無かったから

懐かしく、切なく、感じる。

 

もう二度と戻ることはない時間だけが

僕の生きてきた証明。

AIに置き換わって欲しくないもの

正直AIには詳しくない。

どんなコンテンツのどこまでAIが出来るのか、また出来るようになるのかはわからないが

そんな俺が思うAIに置き換わって欲しくないものは

 

歌詞とか俳句とか詩集とか

人の気持ちの部分を紡ぐもの。

 

である。

 

これは出来る・出来ないの話ではなくて

して欲しい・して欲しくないの話。

 

というのも

当時は理解できなかったり、聞く耳すら持たなかった歌だったりが

今になって歌詞がスッと入ってきたり、こんな歌があったのかとふと出合う事があったり、はたまた知ってたはずの歌詞が違う一面をみせてくれたりするからだ。

 

そんな誰かの感情から紡がれた言葉

誰かに寄り添おうとする言葉

伝えたいものがある言葉

 

そこには人の意思があって欲しい。

 

そう思う。

 

じゃないと…何をみても感じても

独りになってしまいそうだから。

 

同性愛者って…なんで…

LGBTQ+がおおきく取り上げられる前から

両性愛者だった自分は

 

「気持ち悪い」や"バカにする。"などの言葉や表現を

自分自身に向かって言われたわけではなくとも

傷つきながら生きてきた。

 

そういう人達がいるって認知はされてても

自分の近い周りにはいない、いてもバカにしていい対象のように扱われてた。

 

それが普通だったし

自分自身もそういうものだと思ってた。

同性を好きなる奴は変で、言われても仕方ないんだと、自分がおかしいんだと思ってた。

 

傷ついて、

さらに傷つきたくないから自分を隠して、

 

隠すがゆえに

異性愛者と一緒になってバカにしたこともある。

 

自分は傷つくくせに

他人は傷つけてた。

 

中学生くらいのその頃は

自分にとってそれが現実での生きる術だった。

 

その一方でネットでは同じような人達(同性愛者や両性愛者)のコミュニティに属し、

そこで話したりして、かろうじて自分を保ってる様な日々を過ごしてた。

 

高校生の頃には

「今(体を)みてただろ?」とか男友達に冗談半分で言われたり、

一緒に居る空気感や雰囲気が好きだったクラスメイトとほぼ一緒にいたら

「愛やなっ」って女友達に冗談半分で言われたりして

 

的を射ていたり、そうじゃなかったりはあれど

気持ち的には冷や汗かきながらも

否定したり、乗ってみたりして過ごし、

学校では自分をいつも否定して生きてた。

 

高校を卒業するくらいの頃だったかな…

小・中学校と一緒だった一人の男友達と話すことがあって、

どういう流れかはすっかり忘れたけれど

その子に、自分が両性愛者だと自覚してから初めてカミングアウトした。

(別に色恋はなく普通に友達としてね。)

 

 

だいぶ前置き長くなったが

書きたいことはそこじゃなくて(笑)

 

そんな10代を経て~今に至るわけだけども。

今は現実とネットの隔たりもなくなっちゃって、LGBTQ+なんておおきく取り上げられちゃって、昔以上に身近なものなんだと認知されつつあるこの時代でさえも

 

「ホモの気持ちは1ミリもわからん」

「気持ち悪い」

「銭湯は~脱衣場は~うんたらかんたら」と

未だに異性愛者以外の我々は傷つけられなきゃならん存在なんだなと感じる。

 

別にそれらの気持ちを否定したい訳じゃないんだが…

どうして何時までも異性愛者じゃないって事で傷つけられなきゃいけないんだろう…とは思ってしまうのです。

 

ねえ、なんで…?

 

異性愛者だから気持ち悪いって言われないのに

同性愛者だから気持ち悪いってなんで言われなきゃいけないの…?

 

異性愛者だからってバカにされないのに

同性愛者だからってなんでバカにされなきゃいけないの…?

 

今の時代だからこそ

そう気付けた。そう思えた。

 

これは別にLGBTQ+に限ったことではなく

 

太ってたらデブやブタと言われるのも同じ

障がい者でも、奇抜なファッションでも、子供向け作品が好きな大人でも、なんでもそう。

 

なぜそれだけの理由で

みんな傷つけられなきゃいけないんだろう。

 

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追記。

 

「ホモの気持ちは1ミリもわからん」

なんて人はいないはず。

1ミリ以上は理解できるよ誰でも。

だってホモは別に特別な人間じゃないから。

 

異性愛者が異性を好きになる気持ちがわかれば

ホモが同性を好きになる気持ちもわかってるよ。

だって同じだから。

 

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少し話がずれるから区切るけれど

両性愛者である自分が書いておきたいことも書いておく(笑)

 

男性が女性にたいして

可愛いな。素敵だな。えろいな。…etc

って思う事があるでしょ?

 

同じように女性が男性にたいして

可愛いな(かっこいいな)。素敵だな。えろいな。…etc

って思う事があるでしょ?

 

てことはだよ?

 

男性は女性の魅力的な所に気付いてるし

女性は男性の魅力的な所に気付いてる。

 

それって

 

男性にも女性にも魅力的な所があるってことでしょ?

 

異性愛者だとその片方にしか気付けてないだけで…

両性愛者は男性の魅力的な所も女性の魅力的な所も気付いてるだけなんだよ。

 

それだけの事なんだよ…

 

モヤモヤ。ノンケのゲイにモテる発言

何気に見る、筋肉マッチョやノンケのSN

Sでの

"ゲイからめっちゃDMくる"

"ゲイにモテる"

と言った発言。

 

ちょっとモヤモヤする(笑)

いや、仕事に繋がるインフルエンサーとかライバー等の人気商売ならまだ解るのよ。

 

普通…とか若干フォロワーがいるくらいのノンケがそれを発信する理由てなんだ…と思ったりする(笑)

 

もしかして最近では(自分が知らないだけで)

ゲイにモテる事もステータスになってたりするの?

 

何て言うかさ…?

ゲイからモテる=男からもモテる=同性からもすかれる魅力的な男

 

みたいな曲解してない?

 

なんか上手く言えないけど

ノンケ男性がノンケ男性から憧れられるとか、カッコイイとか思われ好かれる現象と

ノンケ男性がゲイからモテる現象とは

全く別物…だと思うんだよね。

 

だからそれを自慢げにはなすノンケが個人的にはよくわからない(笑)

 

ゲイが俺、ゲイにモテます。はわかるのよ。

ゲイが女にもモテます。もまだ何となくわかるのよ。

ゲイの中で

女に選ばれるような男に価値をみいだすこともあるだろうからさ?

 

 

もしかして

ノンケの世界・異性愛者の世界にも

ゲイが選ぶくらいの男だからいいかもっ!みたいに、ノンケ女性のステータスになってるのかな?

 

どうなんだろう。