飾らない場所

何者でもなくただ生きてるだけの、ここに居るだけの僕・私・俺

ネット世界のとりあえず思った事を書き殴り。

今の時代を生きてはいるけども、当然ながら

今の時代は今の年齢でしか生きてないので

今の別の年代の人とは本当の意味では比べられないけれど

 

昔はネットの世界と現実世界は

"ネットとリアル" みたいに

どこか別の世界みたいな…

違う自分だったり、

同じ自分でも現実とは少し違う世界に居るような

 

何となくそんな感じを持っていたけれど

 

今は便利になると共に

ネットが現実に近くなりすぎて

もはや現実の一部になってる感覚に

(少なくとも今の自分の感じ方は)変わってしまった。

 

故に、ネットの世界が

息苦しく感じる事が増えたような気がする。

 

昔の方が100%良かった。とは言えないが…

 

なんだろな…

昔ならわざわざ意識しなくとも

ネットの世界の自分がリアル(現実世界)の知人に知られる事は殆ど無かったし

知られたとしても

お互いに何となく別の自分、別物って感じがあったから

逆に違う一面を見れて嬉しく感じたりしてた点では良かったなと感じる。

 

今や如何にして現実世界の知人と

ネットの知人を分けるか。みたいな所を

意識しながら色んなアカウントを管理したり、

 

現実の一部になってしまったからこそ

別の自分みたいなのを表しにくく、

現実の延長線上で付き合いを考えなきゃ行けないのも

しんどくなるひとつの要因だな。と感じる。

(逆にネットの知り合いに現実を知られない努力も同じ。)

 

他にも、ネットの世界が

より多くの人と簡単に繋がれるようになったのも

現実に近くなりすぎた要因のひとつではある気がする。

 

昔は"限られた人"と言うと語弊があるだろうが

 

「ネットに繋ぐ媒体を持ってる人」

その中でも、

「URLや検索する言葉を知ってる人」

の様にどんどん絞られて行く過程で

 

(自分の興味のある言葉で検索するのもあって)

たどり着く先に

同じ趣味の人が自ずと集まってるような

そんな…広いけれど、狭い世界な感じがあったが、

 

今では(テレビのようなメディア等にも)広く繋がりすぎてて、

興味があろうと無かろうと色んな情報は入ってくるし、

そこまで深く興味がなくても

"何となく見たもの" や "暇で少し見たもの"、

検索してしまったが故に(笑)広告やオススメで

情報を提供され続け、大袈裟にいえば

まるで情報過多の地獄に居るような気さえする。

 

昔はそもそも

コアな団結力はあったものの

流行・ブーム ってものを作り出す程の力はそこまで無かった気がするネット世界だったが

 

今では、情報を提供する・受けるのシステムが

出来上がりすぎてて、昔のテレビや雑誌よりも

一時的なブームを作るという点ではかなりの力を発揮する世界になったのも大きく変わった所な気がする。

 

注目が集まるもの。を作り出すって点では

難しくなっただろうけれど…。

"何か。" さえあれば広げようと思えば拡げられるだろうし、例え多く拡がってなくても

広がってる様な錯覚には簡単に陥れれる世界だと思う。

 

昔はテレビや雑誌が

(女子高生などを中心にして)ブームを作って

期間的には長めの流行と呼べるものが確かにあったけれど

 

今では少しの火、(昔でいう所の)コアな団結力くらいの注目する何かがあれば

突発的に大きな流行にする事が可能な反面、

飽きも早く、そもそもがコアな団結力程度しか無かったものだから永くは続かない様な…

そんな、蓋を開ければ

商売という点で、サイクルを起こすのに凄く

都合のいいシステムに気付けばなってた。

みたいな感じがしている。