飾らない場所

何者でもなくただ生きてるだけの、ここに居るだけの僕・私・俺

モヤモヤが残る事

日々生きてると毎日じゃ無くても色々とあるもので。

見た事や経験した事で

その時に咄嗟に考えて、でも何もしない選択をした後に残ったモヤモヤは

意外とずっと残ってたりする。

 

その時に出来なかったことでは

そんな風には思わないんだけども

少し自分に自信や勇気があればすることも出来た事、そういう事だとモヤモヤが残ったりする。

 

例えば…

家の近くで事件があったとして、その予兆に気付いてれば・その近くに居れば助けれたかも知れない。って事にはモヤモヤは残らないけども

 

そこまで親しい知人でも無いけども

話したことはある程度の同学年の子が

目の前で先輩に攻撃を受けてたとして、

その子を護る行動をとらず、関係ないしなと見て見ぬふりをしたとしたら、多分きっとモヤモヤが残る。

 

そんな自分の手の届く範囲での話。

 

別にそれは護る護らないの話だけではない。

 

以前、バスに乗った時に

そのバスはぎゅうぎゅう詰めではなかったけれど

座る場所は無いくらいには人が居た。

そんなバスで俺は車椅子やベビーカーとかも乗れるように確保されたスペースに立って乗ってたんだけども

 

次のバス停で抱っこ紐で赤ちゃんを抱え

ベビーカーをたたんで乗ってきたお母さんが居て

その人は俺の近くの手すりを持ち立ってた。

 

その時に俺は思ったんだよね…

この少しの俺が居る空間と変わった方が良いのかどうか。

 

「こっちとうぞ」って一言いえれば良かったんだけど、結局は言えずにそのまま目的地に行った。

 

その時に何を思ってたかと言うと

 

・決して俺が立ってるところも広いスペースでは無い事。

・それでも立ちながらではあるけれど、もたれる壁がある事。

・人が多く、走行中で移動して良いものか

・ベビーカーは自分が押さえててもいいと思ってるが、触れられるのはやはり嫌か?

・コロナ禍の中、マスクしてるとはいえわざわざ話しかけるべきかどうか

・何と声をかけるべきか

・言うてもあと数駅、時間にしても十数分

 

なんて事をモヤモヤとずっと考えてた。

 

その時は話しかける勇気もなく、うだうだ考えてるうちに目的地も近ずいて

「今更変わってもな…」って思って

そのまま過ごしたんだけども

 

あの時、一言かければ良かったかなって

モヤモヤが残ってたりする。

乗車してきた時すぐに声がかけれたら

良かったのかなとか、色々と。

 

良い人になりたいとか悪い人でいいとか

そういう事ではなくて

ただなんとなく、自分の中でモヤモヤっとしたのが残るなら

それを取っ払う意味で、少しの勇気を出して解消しておけば良かったかなって思ったりする。

 

そういう自分の手の届く範囲の小さなことが

意外と俺の中に残ってるのです。

 

視界の片隅で誰かが物を落とし

それに気づかず歩いて行ってるのを気付きながらも

関係ない人だとか、面倒くささ、相手の性別とか考えて無視したりすると

モヤモヤが残ったりね(笑)

 

多分別に世の中どっちでもいい事で

自分がしなきゃいけない事では無いんだけども

 

それをしなくてモヤモヤが残る事があるんだよね。