飾らない場所

何者でもなくただ生きてるだけの、ここに居るだけの僕・私・俺

アウティングの危険性は時代が解決してくれる?

自分がマイノリティ側の人間だからなのか

最近、多様性をうたう時代の中で

一番わかりやすく身近な?同性愛のネタというか

話題を組み込むドラマや映像作品が本当に増えたなと感じるし、そういうのはやはり気にして見てしまう自分がいる。

 

それはBL作品を筆頭に

男同士のセックスや禁断の愛 感が強かった昔の作品とは違っていて

それとは別の部分。人間性というか、どういう人間でどういう事に苦しんでて、どう生活しててみたいな

普通の人と変わらない 的な要素に重きを置いて造られている傾向は

個人的にはいい方向に流れているなと感じる。

 

昨今では、BL作品に限らず

恋愛ものや、時代を撮す感じのドラマにも組み込まれてたりするのだが、

 

そんな作品の中で

 

◼️アウティング

(当事者じゃない者(本人以外)が、第三者(マイノリティだと知らない相手)にマイノリティであることを知らせてしまう行為。)

(※あえてマイノリティという言葉を使ってます。)

 

について触れられていた。

個人的にはここ(アウティング)は(今はまだ)本当に繊細な部分だと思ってたりする。

 

実際に、アウティングがなくとも

そんな要素があるだけでバカにされたり、陰口をたたかれたりがあるし、少なくともそういう時代は過去にはあって、いじめに発展したりそれを苦に

死のうとしたり、死んだりしてしまう事があるのを知ってる。

 

それは過去に自分も死のうとしたことがあるから

本当に注意しなきゃダメな部分だと個人的には感じるのだ。

 

でも、しちゃダメな事。とはちょっとニュアンスが違う気もしている。

 

というのも、上記でも書いたが

" 今はまだ "繊細な部分だと感じるからである。

 

個人的には

本当は誰がアウティングしようと

嫌な思いをすることがない、普通に暮らせる世の中なら

そんなことを気にしなくていいと思うのだ。