飾らない場所

何者でもなくただ生きてるだけの、ここに居るだけの僕・私・俺

多様性なんだからを理由に。

多様性なんだろ?

だったら、同性愛者を気持ち悪いと思う人間も認めろよ。

 

なんて言葉が飛び交う攻防戦。

 

個人的にはその通りだと思う。

 

同性愛者を認めるも認めないも好きも嫌いも。

全部自分で決めていいと思うし、それを無理にかえる必要も無いと思う。

 

でも

認めないから、嫌いだからって

当事者を傷付けていい理由にはならない。

 

そこはしっかりと認識して欲しいと俺は思う。

 

当事者を傷付けていい理由にはならない。というと

じゃぁ俺は嫌いな相手に嫌いだとも言わずに我慢しなきゃいけないのか。と曲解する人も出てくる。

 

別にそこまでしろとは誰もいってないのに。

 

嫌いな相手に嫌いだと伝えることが悪なんじゃない。

生きていくなかで、そういう嫌いな人間に自分が遭遇した時、自分がどういう対応をしているか考えてみればいいと思う。

 

相手との関係性や距離などで

対応のしかたがかわってくるのではないだろうか。

 

人間関係ができていて

あなたのそう言うところが嫌いだと伝えたり、はたまたなにも言わず関わらないようにしたりするのではないだろうか。

 

危険性があるのならば

もっと強い言葉で自分を守るように言ったり、逆に言わなかったりとするのではないだろうか。

 

ただ同性愛者にたいしても

"同性愛者"ではなく一人の人間として扱って欲しいという根っこの部分を望むのは

そんなに目くじらを立てるほどに否定しなきゃいけない事なのだろうか。